ろばだより
僕らの世界を描く
Susumu FujitaSusumu Fujita / 2017.10.15

少しこの数日間の考えを書き留めておこう。この世界は様々な相関関係の中で成り立っている。
物語の機能/役割として、おそらく関係性を捉えるということがある。神話にしろ昔話にしろ、ものがたるということは、ある関係性を捉えて、それを言葉で表現していく。絵本の場合は、そこに絵というものがたる要素が加わる。

物語ということは単純に、そこに様々な関係性が立ち現れてくるわけで、そこには人間関係だけではなく、自然と人との関係や動物同士の関係、生き物と時間との関係・・・そういったものが表現されることになる。たとえば、エルサ・ベスコフの絵本に描かれている自然は、まさに彼女が描いた場所に実際にあったものがスケッチされているので、季節や場所、植生も絵本から知ることができる。アリソン・アトリーの『時の旅人』のようにタイムスリップする場合は、時間を超えて道具や文化もその中に描かれていくことになる。

絵本の場合に、「物語絵本」というとファンタジーという意味に捉えらるが、たとえファンタジーであろうと事実関係や自然の相関関係を無視しては、語り全体が曖昧になる。描かれている世界自体が曖昧だと、絵本の中で彼ら登場人物たちが生きられない。何をどう感じているのかを描ききれないのかもしれない。世界が書き手にとって曖昧であるから、絵に表現されていない。当然、読み手も感じられない。関係性を支えている関係自体が曖昧/気薄になるからだ。

あり得ないことがある場合、たとえば、生物学的に朝は女で夜は男になる人両性具有の登場人物がいる場合、それはSFというジャンルになる。また、古典的な空想やファンタジーは、設定として地図が描かれ関係性が作り込まれており、その関係性(設定)の上で、個別に関係性を補足的に丁寧に説明されたりしている。時間をかけて、関係性やそもそもの事実や現象を調べて確かめながら、作り込んでいく。物語には、現実の相関関係というリアリティの土台が必要になる。

リアリティが希薄な物語。昔話のように意識的/効果的にある関係性だけを描き出す場合もあるが、描いていながらもそれが全く意識されておらず現実とはかけ離れてしまっている場合。そこには書き手側の世界の捉え方の曖昧さや不誠実な態度も同時に描かれていることになる。

世界がキチンと描かれていること。そこが特に自然科学に関して、弱い傾向が日本の絵本にはあるのかも。自分自身の意識も含めて、そこに「世界が描かれているのか?」という指標をもう一度キリッとしときたい。

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